岡崎ゆみの『ピアニスト備忘録』

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ピアノ協奏曲 そして田村宏先生

 夏の間中頑張って練習した2曲のピアノ協奏曲(チャイコフスキー1番&ラフマニノフ2番)。
手が小さい私には結構辛かったです。最後はむちうち症のような痛みで首・背中の激痛と頭痛との戦いでした。

 私の人生はかなり落下してからロープが奇跡的に降りてきてしがみついて浮上することの連続。そして今回も偶然ロープをつかむことが出来ました。

 帰国して郵便物の整理をしていて偶然手に取った日本演奏連盟の会報誌。そこに田村宏先生を偲ぶ小山実稚恵さんの手記がありました。田村先生は20世紀の日本人ピアニストと教授としての第一人者です。小山実稚恵さんは田村門下の最優秀生徒でした。私といえばこの世界で純粋培養からはほど遠く、周りが5歳から高名な先生のレッスンを受けるのが当たり前なのに、なんとか芸大教授に師事したのは高校生になってからです。なので田村先生はとても遠い存在でした。
 私が芸大受験したときに田村先生が「40番台の後半にうまいやつがいた」(私の受験番号は49番でその前の方で受かった人はいない)と私の教授であった谷康子先生に仰って、谷先生は「それは私の生徒ですって言ったのよ」と嬉しそうに話されていたのが田村先生との初めてのご縁でした。

 直接田村先生にレッスンを受ける機会は残念ながら最後までありませんでしたが、春日井ピアノコンクールの審査員がご縁で、先生御自身から私に直接お電話がありアマチュアピアノコンクールの審査員を依頼したいとのことで快諾させて頂きました。

 コンクールの審査は数日にわたり1日中なので田村先生のお話をたくさん伺うことができました。田村先生と言えば「厳しい!」レッスンで有名でしたが、私が接した先生はとにかくユーモア溢れるお人柄で次から次に繰り出されるおもしろい御話に私はお腹を抱えて笑ったものでした。私が直接の生徒でなかったので先生も気軽に喋ることが出来たのかもしれません。お亡くなりになったことさえ知らず、本当に失礼をしてしまいました。

 さて、首の激痛と戦いながら実稚恵ちゃん(実は大学&大学院の同級生です)の手記を読んでいたら、彼女が田村先生から厳しく言われた奏法について書かれていました。そこには私がしなければならないのに長年サボってきたことがハッキリと書いてあり、その奏法ならこれほど首が痛くならずに演奏できると直感しました。

 偶然は重なるもので、その翌日に練習にあきて楽譜棚を少しだけ整理しようとしてうっかり落としたのがかなり古い号の雑誌「CHOPIN」。床に落ちた瞬間に開かれたページが田村先生のエッセイでした。まさか、と思って読んでみると実稚恵ちゃんが書いていたことのオリジナルとでも言うような奏法についての一文がありました。その短い文を何度も何度も読み直して、行間どころか文字間くらいまで読み取ろうとイマジネーションを沸かせました。ピアノ協奏曲の演奏会まで3週間を切っていましたしどこまで出来るかわかりませんが、とにかく頭と体を駆使して今までの自分の奏法の誤りを正す努力をしました。短い期間ながら少し演奏法を良くすることができたと思います。が、長年ついてしまった悪癖はそう簡単に治りませんので、これからも続けて努力していかなければなりません。

 そして昨日の本番。災害がないところとして知られる岡山に台風が直撃しました。そのため前日のリハーサルがキャンセルになり2曲の協奏曲は本番の直前のリハーサルのみというかなり苦しい状況でしたが…

 本当に気持ち良く、丁寧に、思ったように演奏することが出来ました。自分の演奏にそんな感想がもてるのはとても長いことありませんでしたので、すごく幸せです。もちろん自分なりに満足しただけで、まだまだ課題はたくさんあることも痛感しました。

 ともあれ、無事に終わって嬉しいです。実稚恵ちゃん、田村先生、ありがとうございました。
 
 演奏会の写真が出来上がったらアップさせて頂きます。
by yumi-okazaki | 2011-09-05 19:03 | 出演